城井1号掩体壕 - 2014.5.27
以前地元ミニ情報でご紹介しましたが、宇佐にはかつて宇佐海軍航空隊が置かれていました。今回はその宇佐海軍航空隊にまつわる戦争遺跡、「城井1号掩体壕」をご紹介します。
水田地帯だったこの地に宇佐海軍航空隊が設立されたのは1939(昭和14)年のことで、当初は搭乗員を養成する訓練部隊でしたが、戦局が悪化した大戦末期には特攻隊の出撃基地になりここから154名の特攻隊員が飛び立っていきました。戦後飛行場は農地に戻り、今はのどかな田園風景が広がっており、これだけを見るとそんなことがあったとは想像し難いですが、点在する掩体壕や滑走路跡の長い直線道路などが戦争の記憶を残しています。
掩体壕(えんたいごう)とは航空機の格納庫の一種で、航空攻撃から機体を守るための、いわば戦闘機のシェルターです。構造は鉄筋コンクリート造りでヴォールト(カマボコ)型やドーム型の形状になっています。太平洋戦争中には各地の飛行場に掩体壕が建設されました。戦後掩体壕の多くは解体されましたが、一部は現在も残っています。自治体が文化財として保存しているものから、民家の倉庫や車庫に使われているものまで、その保存状態は様々です。
今回ご紹介する城井1号掩体壕は大分宇佐市に現存する「城井掩体壕群」の10基の掩体壕の一つで、とくに建設当時の状態をよく伝える重要な掩体壕として知られており、宇佐市の史跡指定を受けて公園に整備されています。駐車場や説明板の他、戦没者を追悼する慰霊碑もあります。公的に保存されているだけに状態は良好で、戦闘機の主翼と垂直尾翼が格納できるよう設計された開口部の形が明確に分かります。内部には大分県国東沖から引き揚げられた零戦のエンジンが置かれ、その位置に合わせて床に零戦の原寸大シルエットが描かれ、当時の様子を偲ぶよすがとなっています。宇佐に来られた際は、ぜひ一度この掩体壕をごらんください。
田原俊治